七、アバウトでいい

起業家の条件として、緻密さよりも、アバウトさを挙げた理由は、小事にこだわらず、
大局的に判断する視点を強調するためである。木を見て森を見ず、という過ちを犯す事は
起業家の生死に関わってくる。
明治以来の事業家の先達の生き方を概括して、まとめると次のような項目に集約できる
とある新聞記事で読んだことがある。
明るく、元気で、遊び(人が)好き、
欲が深くて、いい加減。
この最後の条件、「いい加減」という表現が「アバウトでいい」というニュアンスに近
いものだと思う。
ものの見方や考え方に柔軟性があり、変化対応力に優れていると解釈したい。原理、原
則や過去の成功体験のみに執着するのではなく、世の中の流れや変化にバランス良く乗っ
て行くような軽いフットワ―クとも表現できよう。
朝令暮改という諺は、信念や哲学のない好ましくない行動様式のたとえに使用されるが、
必ずしも全否定できるものでもなかろう。経営環境が激変する中にあって、方針や方法が
間違っていたと気付けば、直ちにそれを改める必要もあると思う。まさに、論語の説くと
ころである。
「過ちを改むるに憚ること勿れ」と。
要はバランス感覚である。緻密さも、計画性も確かに起業家にとっては必要な要素であ
る。ただ、そうした要件と共に、「アバウトさ」や「いい加減さ」も具備する必要がある
事を強調しておきたい。
司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読むとリ―ダ―シップの不可思議さを感じてしまう。
人格高潔、勇気もあり、武術にも秀でた項羽ではなく、人間の弱さを赤裸々に体現する
劉邦の方が漢帝国を成立させて行く。百点満点に近いリ―ダ―シップ像の項羽の周囲には
有能な人材は集まらない。逆に、人間臭い欠点だらけの劉邦の周りには、その欠点を補う
かの如く、有能な人材が集まってくる。
人間とはやはり不思議な動物である。理想的なリ―ダ―シップ像や起業家像というもの
は一応存在するような気がする。しかし、それはやはり、人間の頭の中で創りあげた理想
像にすぎず、そのまま、現実に適用できるものではあり得ない。環境や状況も刻々と変化
する。そしてまた、人と人との関わりはコンピュ―タのプログラムのように整然と規則に
従って再現されるものではない。だからこそ、アバウトさが必要とされてくるのではなか
ろうか。
コンピュ―タの世界でも、オンとオフの二元論から曖昧さを加味したファジ―理論の研
究も進んでいるようだ。アバウトという表現が誤解を招く恐れがあれば、このファジ―と
いう表現で置き換えても良いのではないかと思っている。
起業の具体的展開においては、まさに一本一本の木を観察することが必要である。だが
起業家としては、やはり、森の全体像を把握して、進路を意思決定すべきだと思う。



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