四、ワ―ルドカップ予選

〜 やってやれない事はない 〜

私は大工である。大工という職業に誇りを持っている。
「俺は大工だ、お前達も大工にならんか?」
私が若者達に、こう問いかけたとしても、果して何人の若者がこれに積極的に対応して
くれるであろうか。大工になりたいという若者はほとんどいないと思う。
しかし、もし私が建築家であって、次のように呼びかけたら若者の反応は違ってくるで
あろう。
「私は建築家です。これからの建築界を背負って立つのは君達若者の発想やエネルギ―だ
よ。一緒に頑張ろうよ!」
このような呼びかけなら呼応する若者は何人かは出てくると思う。残念ながら、これが
現実である。大工という職業と建築家という職業のイメ―ジの違いだけが若者の関心の的
となっているように思う。安藤忠雄さんのように、大工の仕事に憧れ、独学で建築をマス
タ―した人もいるのに、そうした仕事の本質を追求しようという若者が少なくなっている。
私の体験でも、二十年頃前と比べるとアルバイト学生の気質が大きく変化している。
「オジさん、バイトない?何でもよかけん」
こうして集まった昔の学生は、金の事など一切ふれず、解体工事でもホコリをかぶって
頑張ってくれた。
しかし、最近はバイトの職種が多いこともあろうが、ほとんど次のような会話になる。
「チョット、二、三日、バイトしてくれんね」
「幾らくれるとね?仕事は何をすると?解体工事の片づけはきつかけん、止めとくよ!」
はっきりしている。合理的と言えばそれまでだが、“このバカタレが、何ば考えとっと
か!”という思いで一杯になる。
苦労や我慢や辛抱という言葉は死語となったような気がする。
しかし、こうした時代や若者達をつくったのも私達であり、私達の責任である。
貧乏だったからこそ、ハングリ―精神を発揮して頑張った。家族にみじめな思いをさせ
ないように、苦労させないように、必死で働いてきた。だが、結果として、それが良かっ
たのだろうか。
今の若者達を見ていると、ハングリ―精神に欠けている。モノが豊かな時代に育った影
響であろう。自分自身を厳しく客観的に見つめてみようともしない。目標を持つこともな
く、その場しのぎのなぐさめの中に生きているような気がする。
「目標も持たず、本当にそれでいいの?」
私の問いかけは、ただ、その一点である。あのワ―ルドカップのサッカ―予選を観てい
て、目的や目標を持つ事の大切さ、そして、“やってやれない事はない”という信念のパ
ワ―を痛感した。


福ベンHomeに戻る