四、会社再建から学んだこと

本題に入る前に、私が社長になった経緯と、会社建て直しの初期行動について話してお
きましょう。
現在私は、大橋エアシステム株式会社と言う資本金九千万円、年商約百億円、従業員約
二百名のあまり儲からない空調・給排水の工事会社を経営しています。景気の急激な落ち
込みと政府の財政圧縮で悪戦苦闘の毎日を余儀なくされ、業歴四十八年目を迎えた我が社
にも今、生き残りを賭けた戦いが始まろうとしています。
しかし、丁度十八年前私が入社し、同時に社長に就任した時は、もっと危機的な状況で
した。
昭和五十五年二月初旬、突然私の勤務先(日立製作所日立工場)へ、親父から電話が掛
かって参りまして家業を継いでくれと言うのです。私が四十四才の時です。
三日後には二ヶ月間の海外出張に出掛ける事になっていましたので帰って来てからの相
談にしたいと言いましたら、それでは会社が無くなっているかも知れぬと言うではありま
せんか。三年前に兄が会社を継いだ時、兄の気前の良さと人の良さが目を覚まさねば良い
がと願っていたのですが、一年で再発し、三年で破綻寸前になっていたのです。
私は、一時間だけ時間をもらい、まず日立の九州支店長に電話で親父の会社の状況を聞
きました。この方は二週間後には、日立の専務取締役となって本社に戻られた方ですが、
親父の会社を潰したくなかったら戻るしかないだろう。日立の関係者には自分が説明して
やるから帰ることにするか、と言われました。
私は、女房とも相談したいので少し時間を下さいと言って直ぐに女房に電話をしました。
五年前に水戸市に家を建て、高二、高一、中一の三人の息子が居るわが家にまさに異変が
起きようとしていました。
しかし、女房は福岡を大事にしたいなら帰るしかない、子供の事や家の事は、あとで考
えることにしようと即座に決心してくれました。私は課内の緊急会議を開いて海外出張の
代替者の目処をつけ九州支店長によろしくお願いした後、親父に帰ることにしたと返事を
致しました。なぜ帰る決断を下したか、それは先祖伝来の地に親父がせっかく築いた拠点
を守りたいと言う気持と、兄に何とか立派にやってもらいたいと願いながらも、いずれは
こうなる宿命を感じていたからです。
三月一日付で入社し、同時に社長就任と言うことでしたので、私は残務整理、退職手続
き、送別会等慌ただしく済ませ、家の事や子供の事はすべて女房に託して福岡に帰って参
りました。
女房は子供達の転校、家の処分、引っ越しなど、あらゆる手配を一手に引き受け一ヶ月
遅れで水戸から一人で車を運転し、福岡に帰って参りました。
あれやこれやで出費がかさむなか、社長の年収が日立時代より低い事が判り、ここから
五年間わが家の食うや食わずの生活が始まるのですが、それはさておき、約一ヶ月の九州、
東京、大阪の挨拶廻りの後いよいよ実務です。幸いにして日立時代取引先の経営状況調査
を多く手掛けた経験が役に立ち、リ―ダ―不在の実務が部門ごとにばらばらで如何に放漫
になっているかが良く判りました。
日中はあらゆる会合に出席して顔を覚えてもらいながら、夜はすべての帳票に目を通し、
問題点の抽出と改善策の検討を行いました。鉄は熱いうちに打てと言うことで毎日午前二
時まで、この作業を続け六月末にやっと改善策を帳票の書式まで含めてまとめ、各部門ご
とに、新しいやり方だと何が良くなるのか、なぜ必要か等を説明し、やり方も判るまで教
えたつもりで社員に託しました。



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