二、アウェイで戦うな

(一)私の独立
経営コンサルタントとして独立してまる二十年を迎えようとしている。
二十七歳の時に仕事柄、中小企業診断士というコンサルタントの国家資格をたまたま取
得した。その時は独立することなど全く考えてもみなかった。
その後、勤めていた会社で上司と営業方針に関して意見が対立するようになった。取引
先の先輩の方に相談するとその会社にこないかという話があった。アパレルの一事業部の
マネ―ジャ―職である。これも体験と転職した。
年齢的には二十代の後半、経営の経験もなく、業界知識もないまま一年余りをその会社
で過した。輸出向けのスカ―フが国内で大ヒット商品になったこともあったし、また、ト
レンドを間違って大変な不良在庫を抱えたこともあった。プレイングマネ―ジャ―だった
ので、出張も多く、地元の友人との付き合いもままならぬ状況に悩み、その会社を退職し
た。
その会社には一年ちょっとの勤務で大変迷惑をかけたと思っている。生地メ―カ―、縫
製工場、婦人服小売店との付き合いの中で、アパレル業界の様々な問題点を勉強させてい
ただき、大変感謝している。
退職後、自動車免許を取得し、先輩の診断士の方の誘いもあって、現在の会社を設立し
た。ただ、実際、営業マンは私一人で、経営は火の車であった。半年後、会社を整理しよ
うかと思ったが、私が代表権を持つ事で継続することになった。
しかし、オイルショック不況で景気は良くはない。社員教育、リクル―ト事業、コンピ
ュ―タ診断等の仕事で食いつないだ。とにかく、人と会うのが仕事だったと思う。
そうするうちに人の輪が広がり、勉強会の世話役を努めるようになった。経営が安定し
たわけではない。ただ、それ迄、何時サラリ―マンに戻ろうかと考えていた迷いがやっと
振っ切れたような気がする。
その結果、不思議といろいろな人と巡り会い、仕事の上でも精神的にも助けていただい
た。やはり、二十年前にはガムシャラなエネルギ―やパワ―があったのだと思う。
自分を飾ることなく先輩達の懐の中に飛び込んで行けた。建前ではなく、本音で相談を
持ちかけた。こうした積極的な行動力が窮地を救ってくれたのだと思っている。
特別な才能もなく、資産もなく、人脈らしきものもなかった。私を生かしてくれたのは
縁あって知り合った人々である。今となってみると、不躾な若者の悩みや夢によくもまあ
付き合ってくれたものだと感謝する外ない。
実感としてこうした縁を与えてくれたのは福岡という地の利であったと思う。ホ―ムで
戦ったからこそ、応援者や協力者を得ることができた。挫けそうな時に支えていただき、
またアドバイスも受けられた。
ただこれからの時代は私のケ―スと異なり、地元にこだわる発想が絶対的なものだとは
思えない。福岡発であってもグロ―バルな視点が必要である。情報も金も経済も既にグロ
―バル化している。単にロ―カル性に固執することが、起業家にとって有利な条件ではな
いような気がする。後輩達の中にも福岡の市場の限界性を察し、東京市場へと活動の場を
移し、成功した者達がでてきている。
“アウェイで戦うな、ホ―ムで戦え!”という発想は、地元志向を意味するのではなく、
起業家にとって有利な状況をどう獲得するかという戦略の問題としてとらえるべきではな
いだろうか。
こうした私のささやかな経験や体験をベ―スに、今後の起業に際しての考え方を整理し
てみたいと思う。



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